『涼宮ハルヒの憂鬱』1〜12話 雑感その2


 映像面でも様々な趣向やパロディを散りばめた演出(7、10話のバトルシーンや11話の銀英伝、プログラムネタ、12話のライブなど)に目が行きがちで、まあ、実際それは注目に値するものですが、本当に凄いのは何気ないシーンでキャラクターを輝かせる微妙な心理描写ではないかと思います。
例えば第4話「涼宮ハルヒの退屈」で二回戦を辞退するよう言い聞かせるキョンのやさしげな表情と、暫くの間を置いて「あんたがそれでいいなら、まあ、いいわ」と笑顔で答えるハルヒ*1や、第10話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅳ」でみくる(大)が辛そうな表情で「最後にもう一つだけ。わたしとは、あまり仲良くしないで」というところから、キョンがこれまたやさしげな顔で「朝比奈さん、今、歳いくつ?」と敢えて尋ねる一連の流れ、第11話「射手座の日」の長門キョンに「許可を」と聞いてくるその時の瞳の真摯さ(しかも一回瞬きをする!)なぞ、もう、実に素晴らしい。おっと、12話「ライブアライブ」での戸惑うハルヒを黙って見守るキョン(純粋に映像的描写もスゲぇ巧い!)というのも忘れてはならないシーンですなっ。


■ちなみに特に気に入ってるエピソード
・第9話「サムデイ イン ザ レイン 」
 語らないという事は時に語ることより雄弁である。桜桃の甘さに満ちた名エピソード。


・第12話「ライブアライブ
 演出やストーリーが素晴らしいのは言うまでもない事ですが、原作ではサラリと流されたストッパード版ハムレット「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」を拾い上げメタに対するアンチテーゼへの布石としたスタッフの手腕と感性に惜しみない拍手を。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 一昨日、映画館に足を運んだ時に気がついたというか、頭の隅に引っ掛かっていた事を蹴りだすことが出来たのですが、なんというかハルヒの構成ってアニメシリーズというより映画に近い気がするのですよ。それも近年公開されたサスペンス&スリラー映画群。
 例えば時事系統をシャッフルしたシリーズ構成は『メメント』がフックしますし、省略の芸術としての脚本の妙は『アイデンティティー』に繋がるモノが。画面の随所に挿入されるアイコン(例:ポニーテール、長門の部屋の扉、笹の葉etc.)の手法は『マシニスト』……と、まあ、こーいう具合に。や、個人的に第1話で「このスタッフって映画畑出身では?」という疑問を植えつけられたので、そーいう風に思考が働いてしまったという気もするのですが。まあ、ハルヒを映像作品として解体する為の取っ掛かりのひとつにはなるのではないかなーと。なんだそれ?


■参考
メメント/スペシャル・エディション [DVD]アイデンティティー コレクターズ・エディション [DVD]マシニスト [DVD]桜桃の味 [DVD]

*1:補足:こーいう風に同じ場面でも原作とは違いアニメでは“素直に”ハルヒを「我侭な様で実は“皆で楽しむ”ことを大切にする子なんですよ」と描写するシーンが多々ある。後々の展開を踏まえたうえでのキャラクター作りではないかと。